野球で培ったもの~三愛自動車編~
今回の“野球で培ったもの”では札幌市内にある三愛自動車工業㈱にお勤めの五十嵐正憲(47)さんが主人公。野球経験は「ありません」とキッパリ。しかし少年野球との関りで濃密な親子関係や子供の成長を見守る父親の愛もにじませるものとなっている。
1)野球との出会い
野球に関わって今年で10年、振り返ると「あっ」という間に過ぎ、今もまだ継続中です。
そもそも、他界した親父が野球好きで幼少の頃からテレビは野球ばかり・・ほとんどアニメを見せてもらえなかったことや、目の怪我が原因で野球ができなかった事もあり正直言うと野球嫌いでした。
そんな私が野球と関わるきっかとなったのは、長男が小学2年の時転校先の千葉で出会った友達が野球をやっていて、誘われて入部した事でした。そこで私も毎週末、車出しやお手伝いでグラウンドに行くようになり、野球未経験の私と、長男の野球漬けの日々が始まりました。
2)地元に戻り、更に熱心に
仕事の都合で札幌に戻ることになり、長男が「少年野球に入る」と言ったので、仲のいい友達のところ?と思っていたら「友達と同じチームではなく、別のチームに入り、友達に勝ちたい!」とカッコ良いセリフを口にした。 その言葉に感動し、私もお手伝いから始める事にし、最初のうちは、キャッチボール1つとっても、足の運び方、腕の上げ方、回し方、何もわからなかったですが、監督・コーチの指導していることを、子供たちと一緒にやってみたり、指導方法の本を読んだり、素振りをしたりして1つ1つ覚え、休日は一緒に練習に行き、グラウンド整備・練習の手伝い・試合時の車出し・応援席から声援を送ってきました。
3)野球の楽しみ
長男が、初めて外野の守備に付いた時、大きなフライが運良く?飛んできて、「行ったぞー!」と、みんなの大きな声・・・吸い込まれるようにグローブに入り、普通のフライが、ダイビングキャッチしたかのような歓声が沸き上がり、親しい審判から「大げさだね!」と言われたのを覚えている。
そんな長男に、小学6年まで少年野球で楽しませてもらい、中学では、軟式野球部に入部し、毎日の練習に「ヒーヒー」言いながら、時には玄関で寝てるなんて事もありましたが、中学3年の時に全国大会へ連れて行ってもらい、忙しくても充実した毎日を過ごせたのは、柏丘中学校(鉾井監督/岩淵先生)をはじめとする関係者の熱意、チームの地盤を作り上げた先輩方、そして息子たちを熱狂的に応援する両親、知人たちが一つになり、なにより子供たち自身、仲良く楽しくプレーできた事が、ここまで成長できたと思っています。
4)次の楽しみ
犠牲?となっていた次男は、長男の試合に連れまわされ放置状態。今考えるとかわいそうなことをしたと思いながらも本人に聞くと、それはそれで楽しんでいたようだったが、野球には興味がなかった・・・そんな次男が小学2年の秋、「俺野球やる!」と言い出し、親としては、兄の野球とかぶるので、「まだ、早いんじゃない? 本当にいいの?」と王常儀の悪い親! でも本人が「やりたい!」と言うので、当時強かった「大谷地ヤングタークス」へ見学に行き、楽しかったのか「入る!」えっ「いつから?」「すぐ入る」と即決でお世話になることになりました。 私も一息入れることなく、お手伝いお父さんから始め、長男の野球を楽しませてもらいながらもコーチに加わり、次男の成長を長男と比べながら楽しませてもらっている。
そして、次男が中学生になったら、長男の果たせなかった全国優勝目指して、頑張ってもらえることを楽しみに応援している。
5)最後に
野球未経験の私でしたが、息子たちを通し、社会人となっても役立っていると実感しているのは、挨拶の大切さで、挨拶と同様に、「お願いします」や「有難うございます」といった礼儀や感謝の言葉が自然に言えるようになる事で、人とのコミュニケーションがとりやすく、更にやらされ感なく元気な声を出す事で、自然と職場の雰囲気やチームが明るく活発となり、相乗効果が働いてくれています。
私たちが、部活をしていた時の根性論が薄れつつある中、新旧のバランスを考え、自ら成長しようとするよう心がけ、これからも頑張っていきます。
▼五十嵐 正憲(いがらし まさのり)さん
1969年生まれ。美唄市出身。身長174.5㎝、体重75㎏。47歳。中学時代は陸上、高校時代はバドミントン。少年野球指導は、タイガース/コーチ2年、大谷地ヤングタークス/コーチ2年目。家族は素敵な妻(柏タイガース会長1年、大谷地ヤングタークス会長2年目)、野球の楽しさを教えてくれた長男(市内公立高3年)、これから楽しませてくれる?次男(小6)。
協力:三愛自動車工業株式会社