野球で培ったもの~神出設計野球部編~episode3
2月に行われた第29回昭和新山国際雪合戦大会で2年ぶり3度目の優勝を飾った「でぃくさんズ神出」。このチームは社会人軟式野球の雄・神出設計エコアハウス野球部の皆さんが選手として出場。野球についても昨秋行われた、第36回全日本早起き野球全国大会で準優勝するなど全国屈指の強豪チームだ。メンバーの中には、元プロ野球選手や大学、高校で活躍した選手ばかりだ。そんな野球部の方々に『野球で培ったもの』は、と聞いてみた。
今回インタビューしたのは、西村優希さん(27)。
野球を始めたキッカケは「お父さんとのキャッチボール」と笑顔を見せた。小学3年で遠軽東イースターズへ入団。中学は遠軽中学校野球部。中3最後のシーズンは、中体連北見地区予選・決勝で斜里中学校に敗れ中学野球は終わった。高校は地元遠軽高校へ進学。高校二年の夏は北見支部予選を勝ち上がり、北北海道予選大会へ進出。遠軽高は破竹の勢いで決勝進出するも白樺学園高に1‐9と敗れ涙した。高校野球最後に挑んだ三年の夏は、北北海道予選大会・1回戦で旭川龍谷高に1‐9で敗れ、西村さんの学生野球の幕は下りた。しかし長身から投げ下ろすストレートに加え縦に割れるカーブは非凡な才能と話題に上った。同氏は2007年ドラフト会議・育成2巡目で読売巨人軍から指名を受け入団するも2009年に戦力外となり読売巨人軍を退団。翌年2010年1月には都市対抗野球35度出場の名門・西濃運輸野球部から声がかかり社会人野球の世界へ。しかし翌春、ひじに違和感を憶える。だましだましのピッチングを続けたが、12月にひじの側副靭帯損傷によりトミージョン手術。翌年、入団に大いに関わった監督後藤寿彦氏の辞任を受け、自らも退部を決意し2012年7月退社。一旦北海道に帰ろうと考えていたところ西濃運輸野球部から千歳市にあるエコアハウス神出設計㈱へ移った先輩の薦めで同年8月からエコアハウス神出設計㈱へ入社し、現在に至る。
~高校野球の思い出~
高2の夏、北北海道予選・決勝
高校1年秋からベンチ入りを果たし、背番号1を掴んだ西村さんの高校野球の最高の思い出は「高2の夏に戦った北北海道予選・決勝」と挙げた。北見支部予選を勝ち上がり、北北海道予選大会出場。1回戦では稚内高を13-0。準々決勝・釧路商高を8‐1。準決勝・旭川実業高を6‐4で下し、いよいよ昇りつめた決勝は白樺学園高との対戦。二回に1点先制するも三回に6点献上。遠軽ベンチは透かさず四回から西村さんを登板した。しかし遠軽打線は二回以降ホームが遠く。好機を生かせず1-9で涙した。この悔しさを忘れず高3の夏を迎えた西村さん他遠軽高ナインは、北北海道予選大会へ見事出場。しかし1回戦・旭川龍谷高に1-7と涙した。悲願の甲子園出場を果たせなかったが、高校野球で経験した最後まで諦めない姿勢が現在の仕事でも大いに生きているという。
現在、入社して今年で6年目を迎え振り返ると激動の野球人生。お父さんとのキャッチボールから始まりプロ野球、社会人野球までと多くの経験を積んだ。現在は大好きな野球を職場の仲間と楽しみながら続けることができていると言う。「野球で出会った仲間はもちろん。これからの出会いも大切にしていきたい」と目を輝かせた。仕事に野球、雪合戦の選手としても活躍する西村さん。会社では工事部の現場監督も任される。仕事でのやりがいは「お客様のご要望にしっかりお答えできた時」と充実した表情を見せた。
▼西村優希さん
1990年生まれ。紋別郡遠軽町出身。身長189㎝、体重78㎏。右投・右打。27歳独身。家族は両親と弟と妹。弟さんの純季さん(24)は、現在社会人野球の鷺宮(さぎのみ)製作所の投手として都市対抗でも活躍。
(選手経歴)
遠軽東イースターズ-遠軽中学校-遠軽高校-読売巨人軍-西濃運輸野球部-神出設計野球部
◎中学野球部時代の恩師・鈴木 収監督は、後に2005年から北海道立女満別高校野球部監督に就任し、2012年に21世紀枠で選抜甲子園に出場。当時、部員19人女満別が58年目で初の甲子園出場と話題となった。
◎高校野球部時代の恩師・林 英敏監督は現在、旭川西高校野球部監督を務める。遠軽高校赴任中は2005年、2006年と二年連続北北海道予選決勝へと導いた名将。遠軽町に悲願の甲子園と決勝まで勝ち進んだが、あと一歩で涙した。
◎社会人野球部時代の恩師・後藤寿彦氏は94~01年まで慶大野球部の監督を務め、2000年の明治神宮大会で優勝に導いた。退任後は、09~12年まで西濃運輸野球部で監督を務め、13年からはJR西日本総監督。
協力:㈱ecoaハウス