美国中の頑張り屋さん・佐藤君
「たきうち整形外科スポーツクリニック」(札幌市中央区南1西6、北辰ビル2階)に通院する今月の「院内で見つけたアスリート」は、積丹町・美国中軟式野球部の佐藤大海君(だいな、2年)を紹介する。佐藤君は小学6年までエースで活躍していたが利き腕の右ひじを痛め、今年3月に同クリニックで軟骨移植手術をして完全復帰を目指している。手術前はまったくボールを投げられない状態だったが、今はキャッチボールができるまで復活、日に日によくなる状態に希望の光も見えてきてリハビリにも力が入っている。
▽佐藤 大海(13、美国中2年=169・5センチ、53キロ、外野手)古平野球スポーツ少年団-美国中軟式野球部
野球は小学1年から始め、後志地区強豪の古平野球スポーツ少年団で投手を務め、エースで4番の”花道”も経験した。そんな責任感もあってか小6のシーズン開幕後にひじの異変を感じたが両親、監督らにも告げず、試合に出続けていた頑張り屋さん。その結果、シーズン最盛期の夏になって、ひじが曲がらないという最悪の状態になり本人もここにきてようやく両親らに打ち明けて治療することになった。「ひじが痛い、と言えば病院通いになり試合に出られなくなるから黙っていた」と言う佐藤君。さすがに、ボールが投げられなくなっては告白せざるを得ないと決心して打ち明けたというから、半端の根性ではない。それほど野球が好きなのだ。チームメートの友人に「札幌のたきうちがいいよ」と紹介されて小6から通院し、今年3月に「また投手に復帰したい-」思いから手術に踏み切った。
術後の経過も順調で、今はキャッチボールができるようになった。「うれしいの一言です」と笑顔で話し、自宅ではリハビリの先生から教わったポイントを頭に浮かべながらストレッチやシャドーピッチングに余念がない。フォームの矯正にも取り組み、大好きなダルビッシュ有(元日本ハムファイターズ-米・レンジャーズ投手)に憧れを抱き、投手への復帰を目指している。
小学生時代はエースで4番、バッティングには自信を持っている。足も速く、ランニングホームランは何本も打っている強打者。中学に入っても4番の座は譲らず、けがの最中の今年7月の中体連にも4番で出場した。ボールを投げられない状態だったがライトを守って、トスでボールのやり取りをするという離れ業をやってのけた。試合は1回戦敗退だったが、ここでも佐藤君の頑張り精神を存分に見せつけた。一番の思い出試合は小4で全国大会(学童)に出場したことだ。捕手も経験していたので、控え選手でベンチ入りしたのだ。「控え選手でしたが、全国大会の雰囲気を味わってうれしかった」と、今も佐藤君にとっては忘れられない心の支えになっている。
(記者の目・中山武雄)佐藤君の頑張り精神には驚きました。「プロ野球選手)と口には出さなかったが、積丹町から札幌まで送り迎えしているお母さんに聞くと「物心がついたころからプロ野球選手」と言っていたそうで、心底にひそかに大きな目標を据えていることがうかがえます。佐藤君の強い精神力なら必ず目標が達成できると確信しています。
「たきうち整形外科スポーツクリニック」
札幌都心部(中央区南1条西6丁目、北辰ビル2階)に位置する利便性と、専門性の高い診断、治療を行うスポーツクリニックとして全道的に知られている評判の整形外科病院。瀧内敏朗院長は、プロ野球帯同ドクターや高校野球全道大会の担当医師を務めるなど、スポーツ障害治療の第一人者で活躍している。また、リハビリ担当の理学療法士らも豊富な経験と知識を持ち、迅速かつ確実な治療で日常生活への早期復帰をサポートしている。当サイト、ストライクで連載した瀧内院長の「ドクターのフォームチェック」は野球関係者、選手、監督ら指導者にも人気となった。
「ドクターのフォームチェック」(バックナンバー)
第1回「金子投手&高田投手」小樽シニア・岩見沢シニア所属当時第2回「町田投手」西発寒ホークス所属当時第3回「立野投手」真栄ボーイズ所属当時第4回「大関投手」真栄ボーイズ所属当時
第5回「関根匡希」東ハリケーン所属当時
第6回「竹内快維」大栄クーガーズ所属当時
第7回「下重匡史」札幌北シニア所属当時
第8回「渡辺佑汰」札幌中央ビクトリーズ所属当時
▽問い合わせ▽
たきうち整形外科スポーツクリニック問い合わせはメール、info@takispo.jp、011-241-8405へ。携帯電話から受付可能な「シマフクロウ・コール」もある。
☆診療時間(受付)☆
昼の部=午前11時30分~午後3時(水曜日を除く)
夜の部=午後4時30分~同8時(水曜日は夜の部のみ診療)
休診日=日曜・祝日、第2、4、5土曜日
取材協力:たけうち整形外科スポーツクリニック
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