千葉ロッテ3位入団の山本大貴、地元札幌で祝賀会
今秋10月のプロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから3位指名され入団した三菱自動車岡崎の山本大貴投手(22)の入団祝賀会が12月30日、地元・札幌市厚別区のホテルで開かれた。祝賀会を企画したのは出身少年野球チームの厚別信濃スターズの父母会などで、中学(江別リトルシニア)、高校(北星学園大付属高)時代のチームメートらも加わって関係者150人が出席して盛大に入団を祝った。山本選手は4年前、高校生指名を期待されながら声がかからず悔しい思いをしたが、激戦区の東海地区社会人野球でグングン力をつけ球速148キロのパワフル投球が12球団から注視され、即戦力左腕として千葉ロッテ入団を果たした。「応援してくれる皆さんに感謝し、1軍で投げられるように頑張ります」と力強い言葉で締めくくり、信濃スターズの後輩たちを前にデビュー・イヤーの活躍を誓った。
「不安はあるが、自分に対する期待の方が大きい」とプロ誕生の心境を語り、「勝ちにこだわり、1軍での先発ローテーション入りを目指す」。祝賀会前に快くインタビューに応じ、力強く決意を語ってくれた山本投手。4年前の高校3年時に北海道日本ハムファイターズから指名がある、との希望的思惑が外れ大きなショックを受けた。落胆の気持ちを引きずって、社会人野球の名門・三菱自動車岡崎に入社した。ここでも精神的衝撃の連続だった。国内屈指の激戦区である東海地区で活躍する三菱自動車岡崎の選手レベルと、競争は半端ではなかった。「このままでは終わってしまう。考え方を変えないと・・・」、必死に肉体改造などに取り組み、投球パワーがグンとアップした。高校時代MAX144キロの速球が148キロまで威力を増した。「あの時がターニングポイントでした」と振り返る。
祝賀会は喜び一杯の中で行われ、山本投手にとっては一生忘れないプロ選手への出発点になった。育ての親ともいえる厚別信濃スターズの父母会、監督・コーチのほか後輩たち、中学・高校のチームメートらも出席して150人の盛大な祝宴となった。余興ダンス、信濃スターズの後輩たちからの質問コーナーもあり、終始にぎやかに繰り広げられた。厚別信濃スターズ・菅原聖貴監督から「入団の報を聞いた時は、涙が出るほどうれしかった。少年・少女の憧れの選手として初勝利を1日も早く成し遂げてほしい」と熱いエールがおくられた。
質問コーナーでは子供たちから「もし女に生まれていたら」と、想定外の質問も飛び出し山本投手を苦笑させた。司会者から「これまで一番辛かったことは」には「小学生時代は無茶苦茶怒られていました。(その時は)泣いてストレスを解消していました」と会場の笑いを誘い、”泣き虫”と言われていた山本投手の一面を明かした。また「対戦したいバッターは?」の問いに、「特定のバッターはいないが、ソフトバンクホークス打線にどこまで通用するか試してみたい」と早くも闘志を燃やしていた。
祝賀会一番のサプライズもあった。苦難を乗り越えプロ選手の座をもぎ取った山本投手の148キロのピッチングだ。会場の誰もが見たかった黄金の左腕を惜しげもなく披露してくれた。受け手は武修館高捕手の文入魁斗君(3年・札幌真駒内シニア―厚別信濃スターズ出身)。5球ほど軽く投げたが威力十分のボールに会場から「さすが」の声が漏れていた。厚別信濃スターズが生んだ待望のプロ野球選手誕生!後輩の子供たちも夢が身近に感じるようになった。キャプテンの佐藤光葉君(信濃小5年)は「山本投手は)憧れの選手、チームみんなで喜んでいる。頑張る目標ができたのでうれしい」と話し、野球少年・少女の大きな目標になった。ガンバレ!山本投手
MAX148キロのピッチングも披露してくれた(下)
♦山本 大貴(やまもと・だいき)1995年11月10日、札幌市生まれ。小学3年から野球を始め厚別信濃スターズへ、中学時代はリトルシニアの江別シニアに入団、北星大学付属高では1年夏からベンチ入りし期待の投手に。高校生ドラフトで指名漏れの悔しさを味わい、社会人野球強豪チームの三菱自動車岡崎に入り急成長、今秋ドラフト3位で千葉ロッテマリーンズに入団した。今季は都市対抗東海地区予選で大活躍、2回戦の東海理化戦では2-0の完封勝利を飾り、チームを4年ぶりの本大会(全国)に導いた。182センチ、80キロ、左投げ・左打ち、「食べることが大好き」な22歳。