けが治してレギュラー取り!札南高の竹村君

早期復帰を願い、腰のリハビリ治療を受ける札幌南高の竹村君
「たきうち整形外科スポーツクリニック」(札幌市中央区南1西6、北辰ビル2階)に通院する「院内で見つけたアスリート」の今年最初の登場者は札幌南高硬式野球部の竹村洋人君(ひろと、1年)。
竹村君は小中時代はエース、4番で活躍していたが高校に入ってファーストも守備範囲に取り入れ頑張っていた。
そんな矢先の昨年末、腰に異状が発症し同クリニックで診察を受けたところ、腰椎分離症と分かった。
完治するには2~3か月の時間がかかる予定だが、「今はリハビリに集中して早く治し、シーズン開幕に間に合えばうれしい」と、心は治療に集中して2年生の春を待っている。
▽竹村 洋人(札幌南高1年=170センチ、74キロ、投手、一塁手)札幌・真栄ビクトリー-札幌・真栄中軟式野球部-札幌南高硬式野球部
将来、教師を目指す竹村君。大好きな野球と勉強に打ち込める環境にある札幌南高を選んだ。
札南野球部と言えば2000年、道内屈指の進学校が61年ぶりに甲子園出場を果たした-と全国的に話題となり、地元札幌など道内は沸きに沸いた。
そんな伝統に憧れ、惹かれて甲子園出場の夢を描いて札幌南高に入学した。
けがの予兆は昨年11月ごろからあった。練習中に違和感を感じ少し痛みもあったが、そこで「大したことはないな」と思い無理をして練習を続けたのが悪かった。
走ると激痛が走り、練習が出来なくなってしまった。
ちょっと様子を見たが改善しなかったので評判の「たきうち整形外科スポーツクリニック」で治療を受けることになった。
週に2回ほど通院し、シーズン開幕まで何としても治したい-と今はリハビリ治療に集中している。
小中時代はエースで4番。高校に入って初めて硬式野球を経験することになり、守備では一塁手をメーンに取り組んでいる。
しかし2年生、3年生になったら「やっぱり投手をやりたい」という強い希望を持っており、ひそかに投球練習も欠かさない。
バッティング・センスもいい。
中学2年生の時、札幌選抜チームの一員として真栄中から1人選ばれ、全国選抜大会(埼玉県)に出場した。
6番打者でスリーベースを含む2安打の大活躍、左打者として高いポテンシャルを見せた。予選敗退したが、チーム2勝のうちの1勝に貢献し、鮮やかな全国デビューとなった。
「スタメンでなかったので悔しさは残っていますが、思い出になる大会でした」と振り返る。
直近の目標は「しっかり体を治して、夏の大会までにレギュラーの座を勝ち取ること」。
2つ目は甲子園に出場し、札南旋風を巻き起こした2000年の先輩たちの成績を超える「甲子園1勝」。
3つ目は「人に教えることが好きなので教師を目指しています」と、3本の目標を立ててスポーツ、勉学に全力投球することを誓っていた。

札幌南高・竹村洋人君
(記者の目・中山武雄)「努力をしなければ目標に到達できない」と何度も口にし、「強い気持ちを持って野球と取り組んでいます」と話す。シンの強さは目指す投手の最大の武器とも言えます。竹村君なら、その素質は十分に備わっていると見えました。
札幌都心部(中央区南1条西6丁目、北辰ビル2階)に位置する利便性と、専門性の高い診断、治療を行うスポーツクリニックとして全道的に知られている評判の整形外科病院。
瀧内敏朗院長は、プロ野球帯同ドクターや高校野球全道大会の担当医師などを務めるなど、スポーツ障害治療の第一人者で活躍している。
また、リハビリ担当の理学療法士らも豊富な知識と経験を持ち、迅速かつ確実な治療で日常生活への早期復帰をサポートしている。
当サイト、ストライクで連載した瀧内院長の「ドクターのフォームチェック」は野球少年・少女らの選手、監督や指導者にも人気となった。
【ドクターのフォームチェック】
第1回「金子&高田投手」小樽シニア・岩見沢シニア所属
第2回「町田投手」西発寒ホークス所属当時
第3回「立野投手」真栄ボーイズ所属当時
第4回「大関投手」真栄ボーイズ所属当時
第5回「関根匡希」東ハリケーン所属当時
第6回「竹内快維」大栄クーガーズ所属当時
第7回「下重匡史」札幌北シニア所属当時
第8回「渡辺佑汰」札幌中央ビクトリーズ所属当時
たきうち整形外科スポーツクリニックへの問い合わせはメール、info@takispo.jp、☎011-241-8405へ。携帯電話から受付可能な「シマフクロウ・コール」もある。
☆受付・診療時間☆
昼の部=午前11時30分~午後3時(水曜日除く)
夜の部=午後4時30分~同8時(水曜日は夜の部のみ診療)
休診日=日曜・祝日、第2、4、5土曜日
取材協力:たきうち整形外科スポーツクリニック