けが治して来季が勝負!札幌大谷高の石鳥君
「たきうち整形外科スポーツクリニック」(札幌市中央区南1西6、北辰ビル2階)に通院する「院内で見つけたアスリート」の今月の登場者は、札幌大谷高硬式野球部の石鳥颯君(そう、1年)。
中2の時に痛めた腰椎分離症がシーズン初めの今年5月に再発し、無念のリタイアとなった。
治療経過は順調に進み今はいい状態に戻りつつあるが大事を取って新人戦も見送り、あと1か月はリハビリ治療に専念する。
来季の目標は「甲子園出場」と心を切り替え、今できることに全力で取り組む覚悟だ。
▽石鳥 颯(札幌大谷高1年、16=181センチ、80キロ、一塁手)
札幌・エルムファイターズ-札幌大谷中シニア-札幌大谷高硬式野球部
小学2年から野球を始めた。
高校野球ファンなら「石鳥」と聞いて気付く方も多いかと思うが、昨秋の明治神宮野球大会で初出場初V、初の甲子園出場(センバツ)で初戦突破した札幌大谷高の主砲で大活躍した石鳥亮君(3年、センター)が実の兄なのだ。
「あこがれの存在、兄のようなバッターになりたい」と、尊敬する野球選手として一番の目標に挙げている。
センバツ甲子園にも兄の応援に駆け付けた。
カッコいい兄の雄姿を見て、ますますリスペクト度が強くなり自分の姿と重ね合わせ、「自分も絶対に甲子園に行く」と心に誓った。
一番大事な時のけがにショックもあったが、予防することの大切さも知った。
股関節などの可動域を柔軟にし、けがをしない体づくりが今一番求められている。
「ストレッチの重要性もわかりました。
コツコツと毎日続けることが最も大切だということが-」。
そして「まだまだパワーが足りないので、併せてウエートトレーニングにも力を入れます」と石鳥君。
柔・剛のトレーニングで持ち味のパワーヒッターに磨きをかけると言う。
大谷野球のカラーとなっている、何事にも「全力・あきらめない」で取り組む精神をリハビリにも生かしている。
石鳥君の一番の”思い出の試合”は中学3年のFBC U15全道大会(昨年、札幌ドーム)。
決勝まで進み強豪・旭川大雪ボーイズとの戦いとなった。
最終回となる七回表2死、2-3の1点差で後がない状況で6番・石鳥君が打席に。
ランナーは1、3塁、「ここは絶対に打つ」との強い気持ちで狙い球を絞って強振した。
ボールはグングン伸びてセンターの頭上を越えるタイムリー逆転3塁打となった。
「頭を超えた瞬間、やったーと思いました。最高のうれしさでした」。
結果はその裏に2点を返され優勝旗を逃したが、石鳥君の心にいつまでも残り続けるベストプレーの一つになっている。
(記者の目・中山武雄)素晴らしい体格、野球選手にはぴったりの感じがしました。
本人は「まだ将来のことは考えていません」と控えめでしたが、今後の努力次第ではプロ野球選手としての芽も十分ありそうな感じがしました。
大谷カラーの「全力・あきらめるな」精神を忘れず、頑張ってください。
札幌都心部(中央区南1西6、北辰ビル2階)に位置する利便性と、専門性の高い診断、治療を行うスポーツクリニックとして全道的に名が知られている評判の整形外科病院。
瀧内敏朗院長は、プロ野球帯同ドクターや高校野球全道大会の担当医師などを務める、スポーツ障害治療の第一人者で活躍している。また、リハビリ担当の理学療法士らも豊富な知識と経験を持ち、迅速かつ確実な治療で患者の日常生活への早期復帰をサポートしている。
当サイト・ストライクで連載した瀧内院長の「ドクターのフォームチェック」は野球少年・少女らの選手、監督や指導者にも人気となった。(バックナンバー)。
【ドクターのフォームチェック】
第1回「金子&高田投手」小樽シニア、岩見沢シニア所属当時
第2回「町田投手」西発寒ホークス所属当時
第3回「立野投手」真栄ボーイズ所属当時
第4回「大関投手」真栄ボーイズ所属当時
第5回「関根匡希」東ハリケーン所属当時
第6回「竹内快維」大栄クーガーズ所属当時
第7回「下重匡史」札幌北シニア所属当時
第8回「渡辺佑汰」札幌中央ビクトリー所属当時
♦問い合わせ♦
「たきうち整形外科スポーツクリニック」への問い合わせはメール、info@takispo.jp、☎011-241-8405へ。携帯電話から受付対応する「シマフクロウ・コール」が便利。
☆受付・診療時間☆
昼の部=午前11時30分~午後3時(水曜日除く)
夜の部=午後4時30分~午後8時(水曜日は夜の部のみ診療)
休診日=日曜・祝日、第2、4、5土曜日
取材協力:たきうち整形外科スポーツクリニック