甲子園へ再出発!北海高の幌村君

守備の構えを見せてくれた幌村君(北海・1年)
「たきうち整形外科スポーツクリニック」(札幌市中央区南1西6、北辰ビル2階)に通院する「院内で見つけたアスリート」の今月の登場者は名門・北海高野球部の幌村魅影君(16,1年)。
シーズンが始まった最初の大会(春季支部大会)で1年生ながらベンチ入りした幌村君だったが練習中に腰に異変が生じ、ボールが投げられなくなった。
顧問の先生から勧められすぐに「たきうち整形外科スポーツクリニック」で診断を受けた。
結果、腰椎分離症とわかり週1、2回の通院治療で今は順調に回復に向かっている。
「完全に治して1日も早く再スタートを切りたい」と満を持している。

幌村君(北海・1年)
▽幌村 魅影(みかげ、16,北海高1年=176センチ、67キロ、ショート)新ひだか町・みゆきフェニックス-日高リトルシニア-北海高硬式野球部
2つ上の兄の影響で野球を始めた。
その兄は新潟県の強豪、帝京長岡高野球部で甲子園を目指して活躍している。
「自分も兄のようになりたい」との想いが常に頭にあり、大きな目標の一つになっている。
弟(中1)も日高シニアで頑張っており、両親の負担は十分理解している。
「3兄弟が野球ができる環境をつくってもらい、いつも感謝しています」と話す幌村君。
小学から中学まではキャッチャーで活躍してきた。
シニア時代は3番・捕手・キャプテンとして日高シニア・チームを引っ張ってきた。
2年時には春の選抜大会(大阪)で全国大会出場も経験した。
3年時、最後の大会となった「全道選手権・ゼット旗杯全道大会で優勝も飾った。
「このゼット旗杯は忘れません」と言う幌村君。
ライバル札幌真駒内との決勝対決となり、日高が六回終わって7-4でリードしていたが最終回の七表で同点に追いつかれてしまった。
流れは完全に真駒内に移っていたが、「絶対負けない」という執念で八回裏サヨナラで優勝をもぎ取った。
幌村君はこの日、3番・捕手で出場し二塁打などで2打点をあげ勝利に貢献した。
「いつもライバル視してきた真駒内に劇的シーンで勝ったことがいつも思い出されます」
将来はプロ選手になりたい-その想いで名門北海高を選択した。
今の目標は「まず甲子園」と明確、そして「チームの要となり、他の選手たちを引っ張っていける選手」を目指している。
大きな目標に向って走り出したばかり。
そのためにも今は「けがを完全に治す」ことを最大課題にしている。
(記者の目・中山武雄)
チームとの協調を常に考えている幌村君。
キャプテンを経験してきたことが大きな野球財産になっていると思います。
両親をはじめ、野球に関係する人たちへの「感謝の気持ち」を持っていることは素晴らしい。初心忘るべからず-が一番大切なことです。
札幌都心部で評判の「たきうち整形外科ス ポーツクリニック」
「たきうち整形外科スポーツクリニック」は札幌都心部(札幌市中央区南1西6、北辰ビル2階)に位置する利便性と、専門性の高い診断、治療を行うスポーツクリニックとして全道的に名が知られている評判の整形外科病院。
瀧内院長は、プロ野球帯同ドクターや高校野球全道大会の担当医師などを務める、スポーツ障害治療の第一人者で活躍している。
また、リハビリ担当の理学療法士らも豊富な知識と経験を持ち、迅速かつ確実な治療で患者の日常生活への早期復帰をサポートしている。
当サイト・ストライクで連載した瀧内院長の「ドクターのフォームチェック」は野球少年・少女ら選手・監督やコーチにも人気となった。
【ドクターのフォームチェック】(バックナンバー)
第1回「金子&高田投手」小樽シニア、岩見沢シニア所属当時
第2回「町田投手」西発寒ホークス所属当時
第3回「立野投手」真栄ボーイズ所属当時
第4回「大関投手」真栄ボーイズ所属当時
第5回「関根匡希」東ハリケーン所属当時
第6回「竹内快維」大栄クーガーズ所属当時
第7回「下重匡史」札幌北シニア所属当時
第8回「渡辺佑汰」札幌中央ビクトリー所属当時
♦問い合わせ♦
「たきうち整形外科スポーツクリニック」への問い合わせはメール、info@takispo.jp、☎011-241-8405へ。携帯電話から受付対応する「シマフクロウ・コール」が便利。
☆受付・診療時間☆
昼の部=午前11時30分~午後3時(水曜日除く)
夜の部=午後4時30分~午後8時(水曜日は夜のみ診療)
休診日=日曜・祝日、第2、4、5土曜日
取材協力:たきうち整形外科スポーツクリニック