栄高の能登君、中3で道選抜に選ばれアジア選手権で優勝経験
「たきうち整形外科スポーツクリニック」(札幌市中央区南1西6)に通院する今月の「院内で見つけたアスリート」は、栄高校野球部の能登翔(かける)君(2年)を紹介する。思春期に多くみられる成長軟骨の損傷で座骨を痛め、春先から2度の治療、リハビリを受けており、完全に治るまでは1カ月ぐらいの期間が必要になる。今春、2年生ながら14番の背番号をもらってベンチ入りしていただけに、けがでの一時リタイアにはちょっと悔しい思いもあるようだが、今は気持を切り替えてリハビリに専念している。早く治して秋には完全復活することが能登君の一番の望みだ。
▽能登 翔(栄高校2年=ショート、セカンド)白石リトルファイターズ-北陽ファミールサンダーズ(中学軟式クラブチーム)
春先に痛めた成長軟骨がまた悪くなり今回2度目の治療となったが、経過は順調だ。全治1カ月の診断だが能登君に暗さはない。「今は治療に専念すること」と、完全に気持ちを切り替えリハビリに取り組んでいる。「たきうち整形外科スポーツクリニック」を選んだのは先輩から「たきうちがいいよ」と勧められ、通院することになった。
小学2年生から野球をはじめて、中学までは投手も経験した。中学時代はクラブチームの北陽ファミールサンダーズに所属し活躍。中3で北海道選抜の24人のうちの一人に選ばれ、なんとアジア選手権(台湾開催)で優勝するという快挙を成し遂げた。台湾チームとの決勝となり1-0で勝利、その虎の子1点をたたき出したのが能登君だった。今でもそのシーンは鮮明に脳裏に刻み込まれ、能登君の野球人生の中の誇りとなっている。
決勝の日は、風邪で高熱を出し途中出場となったが、これが神様が与えてくれた最高の舞台となった。七回一死三塁、代打・能登と、球場にアナウンスが響き能登君が満を持しての登場、気合を込めて振った打球が鮮やかにレフト前のヒットとなった。夢にまで見た決勝打となった。「出させて(代打で)もらったから幸運に恵まれた」と能登君。このときほど、指導者や仲間に感謝することを教えられたことはないという。野球は、関係者も含めてチーム全員で力を合わせて戦うものだと、改めて思い知らされたともいう。
今の目標は、秋の新人戦。一日も早く治して戦列に復帰したい気持ちはあるが、この際じっくりリハビリに取り組んで最高の状態で秋出陣を目指すことに気持ちを切り替えた。その間、自分の課題であるバッティングを強化し、技をみがく覚悟だ。けがが与えてくれた”休養期間”と思って、新たな目標を設定している。
(記者の目・中山武雄) アジア選手権優勝の立役者の輝かしい実績は、将来の大きな自信につながるでしょう。野球だけではなく、将来にわたる人生の誇りになります。大舞台で学んだ「感謝の気持ち」をいつまでも大切にして野球道を貫いてください。
「たきうち整形外科スポーツクリニック」
札幌都心部(中央区南1西6、北辰ビル2階)に位置する利便性と、専門性の高い診断、診療を行うスポーツクリニックとして患者らから厚い信頼が寄せられている「たきうち整形外科スポーツクリニック」。瀧内敏朗院長は、プロ野球帯同ドクターや高校野球全道大会の担当医師を務めるなど、スポーツ障害治療の第一人者として活躍している。リハビリ担当の理学療法士も豊富な経験と知識を持ち、迅速かつ確実な治療で早期復帰をサポートしている。当サイト、「ストライクで連載した瀧内院長の「ドクターのフォームチェック」は野球少年たちや監督ら指導者の人気コーナーになった。
ドクターのフォームチェック】
第1回「金子投手&高田投手」小樽シニア・岩見沢シニア所属当時(現在北照高校)
第2回「町田投手」西発寒ホークス所属当時(現在札幌新琴似シニア)
第3回「立野投手」真栄ビクトリー所属当時(現在札幌ブレイク)
第4回「大関投手」真栄ボーイズ所属当時
第5回「関根匤希」東ハリケーン所属当時
第6回「竹内快維」大栄クーガーズ所属当時(現在札幌円山シニア)
第7回「下重匡史」札幌北シニア所属当時(現在東海大四高校)
第8回「渡辺佑汰」現在札幌北シニア所属)
▽ 問い合わせ▽
たきうち整形外科スポーツクリニック
札幌市中央区南1条西6丁目11番地北辰ビル2階(東急ハンズの向いのビル)
問い合わせはメールmail:info@takispo.jp、tel 011-241-8405へ。携帯電話から受付可能な「シマフクロウ・コール」も導入。
★診療時間(受付)★
昼の部=午前11時30分~午後3時(水曜日除く)
夜の部=午後4時30分~同8時(水曜日は夜の部のみの診療)
休診日=日・祝日、第2、4、5土曜日
取材協力:たきうち整形外科スポーツクリニック