『ここにも白球あり』 女子プロ野球選手・山崎まり
女子プロ野球・兵庫ディオーネで活躍する北海道出身の山崎まり選手が10年前、女子選手として野球を続ける上で節目、節目の岐路に立った悩みを包み隠さず当時を振り返りながら告白してくれた貴重な史記を、10年の時を経てベースボール北海道ストライクで紹介いたします。
~まえがき~
少年野球でも全国各地で数多くの女の子が、野球を楽しんでいます。
しかし卒団後の環境が、男の子に比べて受け皿が小さい現実があります。中学へ進むとソフトボールを始める子、クラブチームに入る子、まったく違うスポーツを始める子。どれも最終的には、自分自信で決断する道があります。
今回のストライクでは、とことん『野球』にこだわった女の子「山崎まり」さん(当時札幌藻岩高校3年野球部マネージャー)に野球を楽しんでいる女の子や、今後の進路に悩んでいる子へ何かメッセージをいただけないでしょうか!のリクエストに快くペンをとってくれました。
ここにも白球あり 「熱球マガジンSTRIKE 2008年3月号より」
野球との出会いは、3歳年上の兄が野球をやっていて、週末は、グランドに行き毎週見ていて段々やりたくなったのだと思います。
見ているよりプレーした方が何倍も楽しかったし、負けず嫌いの性格だったので、兄に負けたくないという気持ちもあったと思います。
そして、小二の冬に真駒内スターズに入団し、もう十年間ボールを追いかけ続けています。
そうやって続けている中で、一番悩んだのは高校進学です。
高校では、女子は試合に出られないので進学を機にソフトボールや他の競技を勧められたりしたのですが、やはり野球がやりたい気持ちが強く、本州の女子硬式野球部がある学校へ見学も行ったのですが、地元の札幌藻岩高校への進学を決断しました。
それは、甲子園を目指す日々を共有したいという気持ちもありましたし、大好きなスポーツがどこかに行かないとできないことに寂しさというか悔しさを感じたからだと思います。
高校の仲間と試合に出られなかったのはつらかったのですが、仲間や先生方のおかげで甲子園を目指す日々を共有することができました。
さらに、道内にも女子硬式野球のホーネッツレディースができたので、試合にも出ることができ、結果的に大変良かったです。でも、一番良かったことは、自分が大好きなスポーツをやるには、親・チームメイト・指導者の協力と理解がなくてはできないことに気づけたことです。今では、感謝の気持ちでいっぱいで、そういう意味でも貴重な体験ができたと思います。
今、少年野球で野球をやっている女子選手にはその野球が好きな気持ちを忘れないことと大好きなスポーツに出会えることはなかなかないのでその出会いを大切にしてほしいです。
環境は厳しいかもしれませんが、それ以上に得るものが大きいすばらしいスポーツだと自分は思います。
札幌藻岩高校3年野球部マネージャー
山崎 まり
【山崎まり・野球歴】
真駒内スターズ(少年野球)―札幌真駒内シニア(中学硬式野球)―札幌藻岩高校に進学しマネージャーを務める。ホーネッツレディース(女子硬式クラブチーム)-筑波大学硬式野球部-アサヒトラスト(女子硬式)-レイア(2013、2014)-アストライア(2015、2016)-ディオーネ(2017~)
女子プロ野球選手で活躍する「山崎まり」さん。
高校時代の取材での印象は、トレーニング中、彼女の眼光は鋭く女子選手とは思いないほどの凄みを感じたことを記憶しています。
今も当時のまま色あせることなく野球が上手くなりたい!と思って白球を追っているに違いないでしょう。
自らで手繰り寄せ掴んだ野球人生に敬意を表するとともに女子選手の憧れ、目標になっている今。
長くプレーヤーとしてご活躍されますようお祈り致しております。(書き手・大川祐市)