俊足外野手アピールー国際情報高・山村君

けが復帰後は「まずベンチ入り」を第一目標にする山村君
「たきうち整形外科スポーツクリニック」(札幌市中央区南1西6、北辰ビル2階)に通院する「院内で見つけたアスリート」の今月の登場者は札幌国際情報高野球部の山村康介君(16、2年)。
山村君は今年3月、野球部の練習中に腰を痛めて(腰椎分離症)リハビリに専念する毎日を送っている。
完全復帰まで約3か月。夏の大会にギリギリ間に合いそうな見通しが立ちホッと胸をなでおろしている。

札幌国際情報高野球部の山村康介君
▽山村 康介(16,札幌国際情報高2年=外野手、169センチ、64キロ)えりも新栄野球スポーツ少年団-日高リトルシニア-札幌国際情報高硬式野球部
今回の腰のけがは2度目。中2の時にも軽かったが発症した経験を持っている。
「日頃の腰への負担が蓄積されて発症したと思います」と自己分析する。その悪夢はちょうど1か月前の3月。打撃練習でバットを強振した後、痛みが走った。しばらく我慢していたが日ごとに痛みが増し、腰をひねることができなくなり「たきうち整形外科スポーツクリニック」で診断を受け、治療が始まった。
野球は友達に誘われ小学1年から始めた。
地元の野球少年団に入り、中学から硬式野球(リトルシニア)に挑戦している。
中学2年までは投手、内野手をしていたが高校に入って外野手1本に絞って活躍している。
「足と守備には自信があります」と力強く話す。
50m走、6・2秒の俊足、肩も強く守備範囲の広さが要求される外野手にはもってこいの素質、抜擢された理由がわかる。
その俊足を生かし3塁打を打ち、大逆転劇のきっかけとなった中2のリトルシニアの試合は今でも忘れず山村君の思い出シーンとなっている。
リトルシニアの夏季大会。
ベスト8を決定する山村君の日高シニアと北広島シニアの戦いだった。
五回表まで0-4のワンサイドゲームで負けが濃厚の様相を跳ね返したのが山村君。
その裏、8番先頭打者で打席に立ち右中間を破る見事なバッティングを見せ、自慢の足を生かして三塁打にしたのだ。
これがチームの闘志に火をつけ5-4の大逆転劇に繋がった。
けが復帰後の最大の目標は「まずベンチ入りを果たす」と照準を定めている。
強豪チームの国際情報高野球部の中にあって、自分とチームメートの競争に勝つことを1番に掲げ、その次はレギュラー取り、そして甲子園-と段階的目標を立て、けがでのハンディをプラスに変え乗り切る覚悟だ。
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◇STRIKE-WEB.COM 山村 康介主将<日高リトルシニア>
(記者の目・中山武雄)けがの経験を生かして「患者さんの気持ちになって、心から寄り添える理学療法士になりたい」と、すでに将来の職業を決めているところが凄いです。
何度かのけがでリハビリの先生の「気持ちの通った治療」が憧れとなり、将来を導く道になろうとは、何て素晴らしいことでしょう。
札幌都心部で評判の「たきうち整形外科ス ポーツクリニック」
「たきうち整形外科スポーツクリニック」は札幌都心部(札幌市中央区南1西6、北辰ビル2階)に位置する利便性と、専門性の高い診断、治療を行うスポーツクリニックとして全道的に名が知られている評判の整形外科病院。
瀧内院長は、プロ野球帯同ドクターや高校野球全道大会の担当医師などを務める、スポーツ障害治療の第一人者で活躍している。
また、リハビリ担当の理学療法士らも豊富な知識と経験を持ち、迅速かつ確実な治療で患者の日常生活への早期復帰をサポートしている。
当サイト・ストライクで連載した瀧内院長の「ドクターのフォームチェック」は野球少年・少女ら選手・監督やコーチにも人気となった。
【ドクターのフォームチェック】(バックナンバー)
第1回「金子&高田投手」小樽シニア、岩見沢シニア所属当時
第2回「町田投手」西発寒ホークス所属当時
第3回「立野投手」真栄ボーイズ所属当時
第4回「大関投手」真栄ボーイズ所属当時
第5回「関根匡希」東ハリケーン所属当時
第6回「竹内快維」大栄クーガーズ所属当時
第7回「下重匡史」札幌北シニア所属当時
第8回「渡辺佑汰」札幌中央ビクトリー所属当時
♦問い合わせ♦
「たきうち整形外科スポーツクリニック」への問い合わせはメール、info@takispo.jp、☎011-241-8405へ。携帯電話から受付対応する「シマフクロウ・コール」が便利。
☆受付・診療時間☆
昼の部=午前11時30分~午後3時(水曜日除く)
夜の部=午後4時30分~午後8時(水曜日は夜のみ診療)
休診日=日曜・祝日、第2、4、5土曜日
取材協力:たきうち整形外科スポーツクリニック