東海大学に挑戦!~大澤(東海大四・3年)~
抜群の制球力を武器に首都大学リーグで活躍目指す!
「レベルは相当高いです。でも頑張って一年目から活躍したい!両親にも良い報告ができれば」と大学野球界での活躍に意欲を示した。来年も湘南キャンパスの東海大には東海大相模など系列校はもちろん浦和学院、大阪桐蔭など強豪校から有力選手が集まり、大澤志意也(東海大四・3年)も2月から練習参加に目を輝かせた。
大澤選手に少年野球、中学軟式野球、そして高校野球での心に残った試合を挙げてもらった。
~野球への第一歩は小学1年生~
小学1年の頃、父の友人の紹介で地元の天塩タイガースに体験したことが野球の始まり。「お兄ちゃんたちと遊びに行くように野球に向かったことを思い出します」とその後、天塩タイガースで野球の虜となっていく。
5年生でエース!
5年生ながらエースとしてチームを留萌支部代表として全道少年野球大会へけん引。1回戦・西陵野球スポーツ少年団(後志)に10-2と勝利。続く2回戦・あいの里バイソンズ(札幌)に1-5と涙した。
この悔しさが一年後、またチームを全道大会へと押し上げる。
6年生に入り2つの全道大会を経験!
管内では負けなしのチームへと成長。
第30回スタルヒン杯に留萌管内代表として出場し、1回戦で準優勝の滝川少年野球倶楽部、後にチームメートとなる宮崎隼斗(東海大四・3年)と対戦。
七回終わって3-3の同点。延長八回促進ゲームの末、6-9と惜しくも敗れた。この年の優勝チームは決勝で滝川少年野球倶楽部を下した、野幌ファイターズ(石狩管内)が優勝した。
もう一つ代表権を勝ち取っていたのが、第3回ファイターズジュニア王座決定戦だ。留萌支部代表として出場し、2回戦から登場。
1回戦・足寄スラッガーズ(十勝)に7-6と競り勝った湧別マリナーズ(網走)と対戦し「良い試合ができた」と自賛した試合は5-3と勝利した。続く準々決勝では準優勝の真駒内ドリームス(札幌)と戦うも投手戦の末、0-1と惜敗。
この年の優勝チームは真駒内ドリームスを下した、伏古わんぱくボーイズ(札幌)が優勝した。
(写真:エキサイティングベースボールマガジンSTRIKE Vol.20より)
~中学軟式で逞しく成長~
迷うことなく「中学では硬式でやりたい」と親に熱望したが、家庭の事情で断念。地元天塩中軟式野球部で3年間自分を磨いた。
言うまでもなく中学軟式野球でも直ぐに頭角を現し、中学2年の秋にはエースに成長。全道大会の全日本少年春季道予選に留萌支部代表として出場し、初戦・士別南中と対戦するも涙した。
中学3年になり全道大会の全日本少年1回戦・北広島東部クラブ(千歳)を4-0で下すと2回戦・斜里中(網走)にも2-0で勝利し、勢いに乗る。続いて準々決勝では、自身が「中学野球で一番印象深い試合」と挙げた。広陵中(中標津)戦。それは延長八回の末4-2と接戦をものし4強進出決めた試合だ。「チームが一つになった試合」と振り返る。
しかし向かえた準決勝では優勝した下音更中(帯広)に、勝利を信じ投げ続けたが惜しくも0-1と敗れた。
今度こそと挑んだ中体連・全道大会では、1回戦・稚内南中(宗谷)を9-0とコールドゲームで下すも、向かえた2回戦・千歳青葉中(石狩)に延長十回促進ゲームの末2-3と惜しくも涙した。
※( )内は支部、管内名
~高校野球を振り返って~
「自分たちの代で甲子園に行けたことが一番の思い出。印象深い試合は浦和学院戦で、選手一人ひとりの役割ができていた。最後の打者をセンターフライに打ち取った時はうれしかった」と笑みを見せた。
~少年、中学野球の皆さんへメッセージ~
「小学、中学は野球をやる上で土台だと思う。基礎を固めてしっかり練習して下さい」
「僕は毎日、朝のランニングと父親とのキャッチボールが日課でした。中学の時は練習が終わった後、天塩町にある室内練習場で父親との打撃練習もやっていました」と振り返っていた。
「そして四年後、プロ野球を目標にダメでも教員とか野球に携われる仕事に就きたい」と少し将来のことも話してくれた。
負けからの悔しさをバネに1つひとつステージを上げてきた大澤志意也選手は、不屈の精神力で、向かってくる困難も乗り越えていく力強さがあった。流石である。
強豪、東海大でもエース大澤をまた観たい!
協力:東海大学付属第四高等学校