野球で培ったもの~神出設計野球部編~episode5
2月に行われた第29回昭和新山国際雪合戦大会で2年ぶり3度目の優勝を飾った「でぃくさんズ神出」。このチームは社会人軟式野球の雄・神出設計エコアハウス野球部の皆さんが選手として出場。野球についても昨秋行われた、第36回全日本早起き野球全国大会で準優勝するなど全国屈指の強豪チームだ。メンバーの中には、元プロ野球選手や大学、高校で活躍した選手ばかりだ。そんな野球部の方々に『野球で培ったもの』は、と聞いてみた。
今回インタビューしたのは、木野田 光紀さん(25)。
野球を始めたキッカケは「野球好きの父親とのキャッチボール」と笑顔を見せた。小学2年で余市町の余市強い子野球スポーツ少年団へ入団。少年野球時代は投手を務めていた木野田少年は、お父さんとの一番の思い出に「試合に勝っても負けても必ず家の前でのキャッチボールをするのが一番の思い出」と当時を懐かしんだ。
中学は地元の名門・余市リトルシニアへ入団。中3最後のシーズンは、日本選手権大会北海道予選・準決勝で、札幌新琴似シニアに1‐3で敗れ全国大会出場は掴めなかった。当時の札幌新琴似と言えば同級生に4番・レフトで出場していた対馬和樹さん(現・三菱日立パワーシステムズ横浜-九州共立大学-駒大苫小牧高校-札幌新琴似シニア-ノースブラザーズ出身)を擁した強豪チーム。後に駒大苫小牧高校で一緒に甲子園を目指すこととなる。
高校は余市シニアの多くの先輩たちが活躍した駒大苫小牧高校へ迷わず進学した。2007年、高校1年の夏。駒大苫小牧は甲子園出場を決める。初戦の相手は広島県代表・広陵高と対戦。木野田さんは応援席から先輩たちにエールを送った「1点リードで迎えた九回に逆転を許し敗れた。自分は出場していなかったが、あの時の悔しさが忘れられず、三年間頑張れた」と当時の感情が蘇った。高校2年の夏には、室蘭地区予選で初めて背番号14でベンチ入り。公式戦デビューでは、苫小牧西戦に7番・ファーストで出場した。「唯々緊張したことを憶えています」と笑顔を見せた。室蘭地区代表決定戦では、7番・セカンドで出場。逆転の2点右前適時打を放つなど勝利に貢献した。
高校3年最後の夏は、室蘭地区予選を勝ち上がり南北海道大会・準々決勝で札幌第一高によもやの2‐10の大敗で敗れた。「涙も出ないくらい呆然としたことを記憶しています」と木野田さん。学生野球の幕はここで下りた。この負けからまだ野球をどこかで続けたいと思うようになったと言う。次の進路では大学野球と考えていたが、家庭の事情もあり断念した。
現在、入社して今年で2年目を迎える木野田さん。高校を卒業後、硬式野球部のある航空自衛隊に勤務するも野球ができる環境に無く職業を変えた時期があったが、冒頭にもあった雪合戦が一つの縁となり平成27年11月に内定をいただき入社に至ったと言う。現在の会社に就職することができたのも野球を続けていたこと。野球を続けたいと願う思いが、こうした縁につながったように見てとれる。
野球を続けていたことで「人に感謝することを教えてもらいました。自然と両親や周りの方々の支援を感じた。またこんな私を選んでくれたお客様に対しては、感謝しかなく自分にできる精一杯のサービスで恩返しがしたいと思う。また職場の仲間は、仲間でありライバルでもある。素晴らしい先輩たちから吸収し、早く先輩たちに追いつき追い越せで学生時代のように頑張っていきたい」と目を輝かせた。
▼木野田光紀さん
1991年生まれ。余市町出身。身長176㎝、体重68㎏。二塁手 右投・左打。妻と子2人。
(選手経歴)
余市強い子野球スポーツ少年団-余市リトルシニア-駒大苫小牧高校-神出設計野球部
【野球で培ったもの~神出設計野球部編バックナンバー】
◆episode1田村和宣さんはコチラ
◆episode2伊藤秀則さんはコチラ
◆episode3西村優希さんはコチラ
◆episode4野口 健さんはコチラ
◆episode5木野田 光紀さんはコチラ
協力:㈱ecoaハウス