【動画付】札幌北・渡辺、霞ヶ浦高合格!

渡辺君(札幌北)=(写真・ジャイアンツカップ道予選より)
シリーズ『2020道外で高校球児を目指すどさんこ』第1弾
中学硬式クラブチームの札幌北リトルシニアでエースとして活躍した渡辺夏一投手(中3年・星置レッドソックス出身)が、近年飛躍的に力をつけてきた強豪校・霞ヶ浦高(茨城県)に推薦入試で合格していたことが14日の取材でわかった。
渡辺君は恵まれた体格に加え、独自のトレーニングでメキメキと実力を上げ同選手は今では最速138キロまで球速を上げるほどの<注目選手>に成長。
道外で頑張るどさんこにエールを送る!
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<高校野球に向けた意気込み>
シーズンが終わってから高校入学までの期間がとても大切で伸ばすチャンスだと思うので、自分なりに休まずトレーニングをしています。
3月末までに「質の良い140キロ」という目標に対して取り組んできて、周りの人も夏頃より良くなっていると言ってくれますが、球速だけを追うのではなく、あくまでも球質を上げていくことを意識しながら努力します。
入学後は卒業までに「打たれない150キロを投げる」という大目標に向けて、日々や短期間の課題に一つずつ取り組み、投手としても人としても成長できるように高橋先生(霞ヶ浦高・監督)を信じて頑張っていきたいと思います。
<学童・中学で一緒に戦った仲間へメッセージ>
別々の土地でも野球を頑張ることは同じなので、野球でつながった仲間としてお互いに頑張っていきましょう!
~発行人から~
目標設定が事細かく記され、新しい環境にも迷いなく前へ進む姿勢はキラキラと輝く。
フォームも学童野球時から比べ格段にしなやかとなり、ボールの球威も上昇中だ!
今後の活躍が楽しみだ。
〇渡辺 夏一投手(わたなべ かいち)
2004(平成16) 年8月12日生まれ、15歳。
札幌市出身。
出生時は3,152グラム
札幌市立星置東小2年から星置レッドソックスで野球を始める。
6年時には、エースとしてチームをけん引しホクレン旗石狩支部予選・準優勝で全道大会出場も果たした。
中学では札幌北リトルシニア所属。
中学2年時、日・台親善野球大会に出場した北海道選抜メンバーにも選ばれた。
中学3年時は、第47回日本選手権兼第30回道新スポーツ杯全道大会第3位で全国大会出場も掴んだ。
投手だけではなく打者としても評価が高く。
力強さに加え、勝負強いバッティングが光る。
憧れのプロ野球選手は、江川卓投手。
現役なら岩隈久志投手。
身長182センチ、体重82キロ。
スイングスピード:147キロ(※ストライク調べ)
右投げ右打ち。
家族:両親と妹の4人家族。

渡辺君(札幌北)=(写真・FBC U15より)
◆霞ヶ浦高等学校附属中学校・霞ヶ浦高等学校
茨城県稲敷郡阿見町に位置する私立中学校・高等学校(中高一貫校)。
常総学院を始め強豪ひしめく茨城県の中でも、急激に力をつけてきた強豪校で、2019年は、第101回全国高等学校野球選手権大会・第74回国民体育大会に出場。
2015年にも第97回全国高等学校野球選手権大会に出場している。
2019年秋は、茨城県大会を勝ち抜き関東大会に進出したものの、春のセンバツ出場をかけた関東大会では神奈川県の桐光学園に2-4と惜敗した。
例年好投手が輩出されることで知られ、独自の投手指導育成メソッドでの本格派の投手育成には非常に定評があり全国屈指のノウハウがあることから、各地より投手志望の選手が集まることで知られている。
一昨年、関東でナンバー1と言われる室内練習場が完成。
また、霞ヶ浦高校附属中学校の硬式野球部として発足した霞ヶ浦高校付属ボーイズは現在創部4年目ながらすでに関東地区の強豪ボーイズに成長。
去年あたりからは関東地区のNPBジュニア出身の選手が進学するようになり、今後はそこから上がってきた選手たちも高校部底上げの一端を担うと思われる。
2面ある恵まれたグラウンドや今春新たに完成する野球部寮とともに、選手が成長するための施設や環境が充実している。
2019年のエースだった鈴木寛人投手は広島のドラフト3位で指名された。
また2017年のエースで、昨シーズン広島の中継ぎ・抑えで活躍した遠藤淳志投手を始め、ここ5年間だけでも4人のプロ野球選手を輩出している。
■監督紹介~髙橋祐二監督
1959年生まれの60歳。
バレーボールと野球の2競技で全国大会に出場した経歴を持つ監督としても知られる。
霞ヶ浦高校から日本体育大学に進み、すぐに母校である霞ヶ浦高校に着任するも、当初はバレーボール部のコーチしか空きがなかったことから同部のコーチになり、翌年から監督を務めた。
全く経験がなかったバレーボールを一から勉強し、就任8年目の1989年に県大会初優勝して全国大会へ出場。
その後もバレーボールの監督として活躍していたが、2001年より衰退した同校野球部の立て直しのために同年の春高バレー全国大会の出場を見届けた後、40歳を過ぎてから野球部の監督に転身した異色の経歴の持ち主で知られる。
野球部監督としては、2008年夏茨城県大会決勝九回二死、2ストライクまで取りながら2-3で常総学院に逆転サヨナラ負けし甲子園行きを逃して以降、甲子園をかけた戦いで9度続けて敗れる「霞ヶ浦の悲劇」は文庫化されたほど有名なエピソードで知られる。
2015年にその呪縛を解いて第97回全国高等学校野球選手権大会に監督として初めて出場した。
2019年にも第101回全国高等学校野球選手権大会に出場するも、初戦で優勝した履正社高校に6-11と敗戦した。
「高橋監督の下、甲子園で校歌を」を目標に、再度の甲子園出場を目指し練習に励んでいる。