大空リトルシニア、全国惜敗も未来へつなぐ粘りの戦い
「大空リトルシニア、埼玉での東日本選抜大会惜敗も未来へつなぐ粘りの戦い」
埼玉県で行われている第13回東日本選抜大会で、北海道代表の大空リトルシニアは最後まで粘りを見せるも、5-7で惜敗しました。
大空リトルシニアは3月に行われた全国選抜大会に続いて、2度目の全国大会でしたが、悲願の初勝利は叶いませんでした。
試合後、冨田大介監督は「残念ながらあと一歩です。悔しいです」とコメントしました。
同チームは二回、五回に同点に追いつく粘り強さを見せましたが粘り及ばず涙となった。
チームは11日に帰道する予定です。
第13回東日本選抜大会
◆1回戦(8日、埼玉県大宮公園球場)
大空リトルシニア(北海道)5-7上田リトルシニア(長野県)
開始時間:12時35分
上田リトルシニア
2030002=7
1110200=5
大空リトルシニア
(上)塚田、桑原、市川-半田
(大)窪田、澤口、窪田、澤口、窪田-泊り
▽三塁打:上薗、市川(上)
▽二塁打:木次、佐野(上)、泊り(大)
大空、埼玉での粘り強い戦いも実らず惜しくも敗退
試合は3-5と2点を追う五回に、ツーランスクイズを成功させて5-5の同点に追いつくなど、接戦の展開が続きました。
選手たちの必死のプレーが光る中、7回には2点を追う状況で、2死走者なしから代打で登場した石崎颯人(3年・阿寒クレインズ出身)が、右中間を破る意地の三塁打を放ちました。
この場面では、打撃での奮闘が見られ、チームの士気を高める大きな瞬間となりました。
しかし、続く打者が打ち取られ、無得点で終わったことでそのまま敗戦となってしまいました。
試合終了後、選手たちのユニフォームは汗と泥で真っ黒に染まり、その姿には多くの努力と苦闘が詰まっていました。
会場からは、その泥臭くもひたむきなプレーに対して、大きな拍手と称賛の声が送られました。
大空の選手たちは、試合の終わりまであきらめることなく粘り強く戦い続けました。
この試合では、彼らの全力を尽くしたプレーが埼玉の地でもリトルシニアリーガー関係者に届き、その姿勢は評価されるべきものだったと言えるでしょう。
再三にわたる粘り強い戦いの中で、大空の選手たちはその実力を証明し、多く大空関係者の心に残る印象を与えました。
試合後のミーティングでは、選手たちはこの2点差が持つ意味について真剣に考えました。
この差があと少しで埋められるのか、それともまだまだ大きな壁があるのか、ひとり一人が自分なりに分析し、次への糧とするために真剣に考えたことでしょう。
創部から10年目の節目の今年、全国選抜大会出場に続き東日本選抜大会にも出場した3年生たちに対して、冨田監督は「この3年生たちが歴史を作ってくれた。全国での一勝は次の代が引き継ぐことになった。一歩ずつ進んでいくしかない」と述べました。
監督の言葉には、これからのチームの成長と、次の代への期待が込められており、選手たちもその意志を胸に、新たな挑戦に向けて前進していくことでしょう。
冨田監督が目指す理想の野球に少しずつ近づいている大空チーム。
今回の試合を通じて、多くの学びと成長を得た彼らが、これからどのような進化を遂げていくのか、ますます楽しみです。
『大空』誕生に東練馬シニア無くして語れない
10年前、大空リトルシニアが誕生した背景には、練馬東シニアとの深い関わりがありました。
そのストーリーは、冨田監督の故郷でのひとときから始まります。
冨田監督は東京農業大学オホーツクから社会人野球のサンワード貿易に進んだ後、家業を継ぐため網走に帰省していました。
その際、同大学の先輩である徳元敏さん(元オリックス・ブルーウェーブ)から一本の電話が大きな時間軸を動かします。
徳元さんは当時、東農大オホーツクで臨時投手コーチをしており、冨田監督に一緒に食事をしないかと誘いました。
食事の席で、徳元さんは冨田氏の今後について触れ「野球で育てて貰った故郷に恩返し出来るのは野球しかないだろ、社会貢献の一環として、地元の子供たちに野球を教える活動を始めてみてはどうか」と提案しました。
徳元さん自身も、当時東練馬リトルシニアの監督を務めており、このチームは後に、宮本慎也氏(元東京ヤクルト)や和田一浩氏(元中日ドラゴンズ)など、名だたるプロ野球選手の子息が在籍する名門チームとして知られるようになりました。
この提案を受けて、冨田監督は地元の子供たちに野球の楽しさと技術を伝えたいとの思いを抱き、活動を始める決意を固めました。
2015年には、大空町で大空リトルシニアが誕生しました。
大空町は北海道オホーツク総合振興局管内の網走郡に属し、2006年に女満別町と東藻琴村が合併して誕生した町です。
この町は広大な自然に恵まれているものの、過疎化が進んでおり、地域の活性化が課題となっていました。
大空リトルシニアの活動は、土日祝日のみで行われています。
選手たちは練習場まで1〜2時間かけて通うことが珍しくなく、平日練習を行わないのは、通える者と通えない者の間に差が生まれることを避けるためです。
選手たちは、自主練を重ね、土日にその成果を披露することが求められています。
この取り組みが評価され、大空リトルシニアには広い範囲から多くの選手が集まるようになりました。
地域の少年団では、過疎化の影響で少年団の小学6年生の数が3人程度にまで減少している状況にもかかわらず、大空リトルシニアには新たな選手たちが絶えず集まり続けています。
このチームは、地域の野球文化を支える重要な役割を果たしており、子供たちに夢と希望を与えています。
そして、9日には、大空リトルシニアの誕生の原点でもある東練馬リトルシニアとの練習試合が行われます。
これは公式戦ではありませんが、大空リトルシニアにとっては非常に特別な意味を持つ試合です。
この対戦を通じて、大空リトルシニアの誕生から現在に至るまでの歩みを振り返り、その歴史と情熱を再確認する貴重な機会となるでしょう。
次こそは咲かせてください勝利の華を!
協力:大空リトルシニア
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