未来を切り拓く指導者、小林弘明の挑戦と情熱
未来を切り拓く指導者、小林弘明の挑戦と情熱
―旭川の地で培った経験を糧に、東川で少年野球の新たな未来を創る―
子どもたちの目に映るボールは、未来へとつながる希望の光。
小林弘明氏(40)は、教育者としての使命と、野球指導者としての熱い情熱を胸に、今日も子どもたちの成長を支えています。
少年野球の指導者として20年近いキャリアを積み重ねる中で、彼が伝えたいのは、技術だけでなく「夢に挑む心」です。
これまで歩んできた道のりには、多くの試行錯誤と出会いがありました。
その軌跡を振り返りながら、小林氏が紡ぐ未来への物語をご紹介します。
野球との出会いがすべての始まり
旭川市に生まれた小林氏が野球と出会ったのは、小学3年生の時。
校区の少年野球チーム「陵雲ファイターズ」に所属し、野球に熱中しました。
中学では旭川市立広陵中学校で軟式野球に取り組み、高校は旭川実業高等学校の硬式野球部に進学。
「一番の思い出は、柳川高校での春合宿後に見学した春の甲子園。迫力ある試合に引き込まれました」と語ります。
教員と指導者、二つの顔を持つ熱血指導者
北海道教育大学旭川校に進学後、硬式野球部に所属しながら母校・旭川実業高校の外部コーチを兼任。
教員として初めて赴任した旭川市立永山西小学校では、名門「永山西クラブ」を率いる名伯楽・上野盛久監督と出会います。
上野監督の「小学生だからといって固定観念を持つな」という言葉は、小林氏の指導観に大きな影響を与えました。
上富良野ジャガーズでの試練と成長
次の赴任先、上富良野小学校では「上富良野ジャガーズ」の監督として新たな挑戦が始まりました。
初年度の苦戦、全道大会出場を果たした2年目の経験、そして東16丁目フリッパーズの笹谷武志監督との出会いは、小林氏に少年野球の奥深さを教えてくれるものでした。
「才能を見極め、その選手に合った指導をする」という笹谷監督の言葉は、小林氏の心に深く刻まれています。
全国大会への道と広がる交流
2013年には北海道チャンピオンシップ選抜のコーチとして全国大会に参加。
さらに、多賀少年野球クラブの辻正人監督との出会いは、小林氏の視野をさらに広げるものとなりました。
翌年には「上富良野ジャガーズ」として全日本学童北北海道大会を制し、念願の全国大会出場を果たします。
そこで再会した辻監督との意見交換は、小林氏にとって指導者としての確かな成長を感じる瞬間でした。
東川大雪少年野球クラブで描く未来
2017年からは東川町立東川小学校に赴任し、東川大雪少年野球クラブを率いる小林氏。
子どもたちには、ただ野球を教えるだけでなく、夢を追いかける楽しさや、努力することの尊さを伝えたいと信じる小林氏。
彼の熱意に支えられたクラブは、今日も子どもたちが自らの可能性を信じて成長していく場となっています。
<発行人>
子どもたちの未来を描くキャンバス
野球を通じて学び、夢を追う心を育む小林弘明氏の挑戦
小林氏は、これまで出会った人々から多くを学び、素直な心で吸収しながら、指導者としてのスキルと地位を築き上げてきました。
その姿は、まるで真っ白なキャンバスに水彩画を描くようなもの。
時に失敗や挑戦を通じて、豊かな経験と深い知識を重ねてきました。
また、小林氏のリーダーシップは抜群で、少年野球、中学野球、高校野球、大学野球といずれのステージでもキャプテンを務めるなど、生粋のリーダーとして知られています。
そんな彼が目指すのは、子どもたちが夢をつかむ瞬間を見届けること。
そのための挑戦は、これからも続いていきます。
小林氏の信念は、野球を通じて子どもたちの未来を広げることにあります。
野球を通じて学べるのは技術だけではありません。
チームで戦う楽しさ、困難を乗り越える力、そして夢を追い続ける勇気を育むこと。
これらの経験が、子どもたちの人生の糧となることを小林氏は確信しています。
「野球は人生の縮図」とよく言われます。
その言葉の裏には、技術や戦術を超えた、人としての成長を見守りたいという小林氏の強い想いが込められています。
失敗から学び、挑戦し続けることで未来を切り開く鍵を子どもたちに伝えたい。
そのために、今日もグラウンドに立ち続けています。
小林氏が描くキャンバスは、まだ完成していません。
その情熱と尽力によって、子どもたちの笑顔と成長が鮮やかに描かれていくことでしょう。
その歩みは決して止まることなく、次の世代へと受け継がれていきます。
協力:東川大雪少年野球クラブ